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最高裁判所第三小法廷 昭和50年(オ)931号 判決 1977年10月25日

上告人(附帯被上告人)

西秀孝

上告人(附帯被上告人)

西百合

右両名訴訟代理人

徳本サダ子

被上告人(附帯上告人)

福岡県

右代表者知事

亀井光

被上告人

原野勇高

被上告人

徳野伊勅

右三名訴訟代理人

堤千秋

植田夏樹

主文

一  原判決中上告人(附帯被上告人)西秀孝の弁護士費用に関する請求を棄却した部分を破棄し、右部分につき本件を福岡高等裁判所に差し戻す。

二  原判決中上告人(附帯被上告人)らが被上告人(附帯上告人)福岡県に対し各金三〇万円に対する昭和三七年一〇月一六日から昭和四四年九月三〇日まで年五分の割合による金員の支払を求める請求を棄却した部分を破棄する。

三  被上告人(附帯上告人)福岡県は上告人(附帯被上告人)らに対し各金三〇万円に対する昭和三七年一〇月一六日から昭和四四年九月三〇日まで年五分の割合による金員を支払え。

四  上告人(附帯被上告人)らのその余の上告を棄却する。

五  本件附帯上告を棄却する。

六  第二項、第三項に関する訴訟の総費用は被上告人(附帯上告人)福岡県の、第四項に関する上告費用は上告人(附帯被上告人)らの負担とし、附帯上告費用は附帯上告人(被上告人)福岡県の負担とする。

理由

上告代理人徳本サダ子の上告理由第一点の第一について

原審が適法に確定したところによれば、(1)被上告人(附帯上告人)(以下「被上告人」という。)福岡県の設置管理する県立高等学校の三年生であつた上告人(附帯被上告人)(以下「上告人」という。)らの二男西光太郎は、昭和三七年九月二五日の第二時限目に人文地理の授業中であるにもかかわらず、隣席の生徒二人と私語を続け、また机上には他の教科の参考書を置いていたので、仁保教諭は光太郎ら三名を教壇の横に立たせ、授業時間終了後には職員室に呼んで訓戒を与えた、(2)その結果光太郎らも納得したので、仁保教諭は第三時限目の授業開始(午前一〇時五〇分)とともに光太郎らを教室に戻らせようとしたところ、光太郎の学級担任の被上告人徳野が光太郎を呼びとめて職員室に隣接する応接室に伴い、光太郎を詰問した、(3)被上告人徳野はそれまでにもしばしば生徒に体罰を加えており、光太郎も再三同被上告人から訓戒を受けて同被上告人に反感を持つていたため、反抗的態度をとり続け、同被上告人は応接室を飛び出した光太郎を連れ戻すなどして説諭を続け、昼食時間になつても光太郎を教室に帰さず、その後も光太郎を応接室に留めておいて反省を命じた、(4)同日午後二時被上告人徳野は授業を終えて同室に戻つたが、居合わせた仁保教諭が光太郎がかつて喫煙したことやカンニングをした事実等をあげて反省を促したところ、光太郎がこれらの非行事実を認めたため、同被上告人は平手で光太郎の頭部を数回殴打したうえ、翌日父親を学校に出頭させるよう光太郎に申し向け、午後二時三〇分ごろようやく同人を教室に帰した、(5)光太郎は帰宅後同日午後一一時ごろから翌二六日午前一時過ぎごろまでに級友にあてて被上告人徳野を恨む、同被上告人の仕打ちは死んでも忘れない旨の手紙六通をしたため、同日午前六時四〇分ごろ自宅の倉庫で首つり自殺をした、(6)被上告人徳野の右懲戒行為は、担任教師としての懲戒権を行使するにつき許容される限界を著しく逸脱した違法なものではあるが、それがされるに至つた経緯、その態様、これに対する光太郎の態度、反応等からみて、被上告人徳野が教師としての相当の注意義務を尽くしたとしても、光太郎が右懲戒行為によつて自殺を決意することを予見することは困難な状況にあつた、というのである。以上の事実関係によれば、被上告人徳野の懲戒行為と光太郎の自殺との間に相当因果関係がないとした原審の判断は、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、独自の見地に立つて原判決を非難するものであり、採用することができない。

同第一点の第二について

公権力の行使に当たる国又は公共団体の公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を与えた場合には、国又は公共団体がその被害者に対して賠償の責に任ずるのであつて、公務員個人はその責任を負わないと解するのが、相当である(最高裁昭和二八年(オ)第六二五号同三〇年四月一九日第三小法廷判決・民集九巻五号五三四頁)。したがつて、右と同趣旨の理由によつて上告人らの被上告人原野、同徳野に対する請求を排斥した原審の判断は、正当として是認することができる。論旨は、採用することができない。

同第二点について

原審が適法に認定した事実関係のもとにおいて、被上告人徳野の光太郎に対する前記懲戒行為が違法であり、これにより光太郎は被上告人福岡県に対し六〇万円相当の慰藉料請求権を取得し、光太郎の死亡により上告人らが各三〇万円づつを相続により取得した旨の原審の認定判断は、正当として是認することができる。そして、上告人らが被上告人福岡県に対し、右不法行為に基づく前示損害の賠償を求めて本訴を提起するのやむなきにいたり、弁護士に訴訟の追行を委任し、その手数料等を支払うことを約したとすれば、弁護士に支払うべき右手数料等もまた、前記不法行為によつて生じた損害として、その相当と認められる限度で、被上告人福岡県においてこれを賠償する責任があるというべきである。

しかるに、原審が上告人西秀孝の弁護士費用の請求について理由を示さずにこれを排斥したのは違法であり、右違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。よつて、原判決中、上告人西秀孝の弁護士費用に関する請求を棄却した部分を破棄し、右部分につき更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すこととする。

次に、原審において上告人らが損害賠償債権の遅延損害金の起算日を「昭和四四年一〇月一日」から本件訴状送達の日の翌日である「昭和三七年一〇月一六日」に変更し、請求を拡張したことは、本件記録により明らかである。したがつて、上告人らは被上告人福岡県に対し各三〇万円に対する昭和三七年一〇月一六日からその支払ずみにいたるまで年五分の割合による金員の支払を求めうるというべきところ、原審が右拡張部分について理由を示さずにこれを排斥したのは違法であり、右違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。よつて、原判決中、上告人らが被上告人福岡県に対し各金三〇万円に対する昭和三七年一〇月一六日から昭和四四年九月三〇日まで年五分の割合による金員の支払を求める請求を棄却した部分を破棄し、右範囲において上告人らの請求を正当として認容すべきである。

その余の論旨は、判決に影響しない点につき原判決を非難するものにすぎず、採用することができない。

附帯上告代理人堤千秋、同植田夏樹の上告理由について

所論の点に関する原審の判断は、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

よつて、民訴法四〇七条、四〇八条、三九六条、三八六条、三八四条、九六条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(服部高顕 天野武一 江里口清雄 高辻正己 環昌一)

上告代理人徳本サダ子の上告理由

第一点 原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違背がある。

第一、不法行為における因果関係についての判断の誤り。

一、原判決は被告徳野の本件懲戒行為と西光太郎の自殺との間の因果関係につき予見可能性について一部付加したほか第一審判決を引用している。

そこで右第一審判決によると「被告徳野は昭和三七年九月二五日福岡県立田川東高等学校において、受持生徒である同校三年生西光太郎を第三時限目がはじまる午前一〇時五〇分より午後二時三〇分頃迄三時間余(この点は後記のとおり午後三時頃迄であつて四時間余である。証拠の採用を誤つている。)同校応接室に拘束し、その間、反省しろと迫つたり暴行を加えたりして違法な懲戒をした。光太郎は翌二六日午前六時四〇頃自殺したが、それは右懲戒により誘発されたものであつて、その間には、いわゆる条件関係がある。しかし右懲戒によつて受けた精神的苦痛ないし衝撃により生徒が自殺を決意し、更にこれを決行するような心理的反応は通常生ずる結果ではないので、法律上の因果関係があるとするためには教師が当時これを予見していたか、又少くとも予見可能であることを要する。しかしながら本件において被告徳野がかかる特別の事情を予見しまたは予見可能であつたことを認めるに足りる証拠はない。」と判断し、原判決はこれに「本件のような異常な懲戒を受けた時、光太郎のように高校三年生という思春期といわれる心理的に最も不安定な特性をもつた時期にある者にあつては一般的に心理的反応も著しく強烈で、その心理行動面での処理方法として家出、登校拒否、相手に対する直接的攻撃行動など何らかの自己破壊的行動となつて現われる可能性は他の年齢層に比し著しく高いといわれており、自殺も右行動の中に含まれる。そして、仮令経験は浅かつたとしても特別の教育を受けて、常時生徒に接する立場にある教職にある者としては、懲戒の相手が、右のような一般的な意味での自己破壊的行為に出る可能性のあることは予測できたものといわなければならない。」としながらも「しかしながら、自殺というのは自己破壊的行為のうちの隔絶した頂点ともいうべき極めて稀な事例であることは否定できないところであつて、結局かかる事態まで予測することは困難であつたといわざるをえない。」と付加している。

二、しかしながら右両判決とも不法行為における因果関係の判断を誤つたものである。

すなわち

(一) 不法行為において因果関係は(1)成立要件としてのもの、すなわち加害行為と損害発生との原因・結果関係(自然的因果関係ないし事実的因果関係と(2)損害賠償の範囲を限定するためのもの、すなわちどこまでの損害を帰責範囲とするかの問題(相当因果関係)の二つの側面をもつている。

本件の場合引用された第一審判決は光太郎の自殺と本件懲戒行為との間に条件関係を認めているので、その間には不法行為の成立要件としての因果関係が存在することは明らかである。ところで、従来の判例によれば不法行為においては成立要件としての因果関係のほかに損害の範囲を限定するための予見可能性を前提とする相当因果関係の存在をも必要とするとし、原判決もこれに従つている。しかしながら、このような判例の考え方には多くの批判がある。すなわち、因果関係のなかに予見可能性の要素を加えることは因果関係を帰責概念と結びつけることになり故意過失の観念と重複させることになる。近代法においては帰責の概念は加害行為者の主観的条件を本質とするものであるから予見可能性の問題は故意過失論で問題とすれば足り、因果関係の問題としてとりあげる必要はないと考える。

従つて本件においては不法行為の成立要件としての因果関係が存在する以上相当因果関係についての判断は要しないものと解する。

(二) 仮りに右主張が理由がなく相当因果関係についての判断を要するとしても、原判決には次のような誤りがある。

原判決の引用する第一審判決は学校教師の懲戒によつて生徒が自殺するということは極めて稀有な事例であるから通常生ずべき損害ではないとしている。原判決もこれを支持し「自殺というのは自己破壊的行為のうちの隔絶した頂点ともいうべき極めて稀な事例であることは否定できない。」としている。

しかしながら、これらの判断は大学受験を目前にした思春期の少年の心理の特性、本件懲戒の原因、懲戒の態様、日本における自殺の状況などについて証拠の評価・採用を誤り事実を誤認し、ひいては法律判断を誤つたものである。

原判決の引用する第一審判決によれば、本件懲戒は光太郎が人文地理の時間中、私語したり、生物の本を机に置いていたということで、人文地理担当の教師より簡単に説諭され許されて帰ろうとしたところを、担任教師である被告徳野より応接室に連行され、爾来午前一〇時五〇分より釈放される迄応接室に拘束され、その間反省しろとせめられ、数回にわたり暴行を受け学校を辞めてしまえといわれ、食事をとることも授業に出ることも許されなかつたのである。右判決は釈放された時間を午後二時三〇分頃と認定しているが、前記のとおり、これは誤りである。第一審において、ひとり被告徳野のみが釈放し教室にかえしたのは午後二時前後頃と述べているのみで、光太郎が釈放されるとき応接室に同席していた仁保教師や応接室を出たところで会つた長田教師、その他教室に帰る途中会つた学友達や教室に帰つたところを会つた学友達みなが午後三時頃か三時すぎ頃であつたと証言している。被告徳野ですら、原審でその点をきかれ自分の記憶違いかもしれないと答えているのである。本件において、応接室における拘束時間が結果の発生につき重大なる影響をもつていることは証人西園昌久の証言により明らかであつて、この点に関する事実の誤認は重大であるといわねばならぬ。

ところで原判決も「光太郎のように高校三年生という思春期といわれる心理的に最も不安定な特性をもつた時期にある者にあつては一般的に心理的反応も著しく強烈で……」と認めているように思春期にあつては感受性が強く深刻に反応し、それに加えて、世間的経験が乏しいため視野が狭く、先生とのできごとだけで自分の行動を決定し、極端な行動に走りやすく、更に思春期のなかでも高校三年生というのは大学受験を目前にひかえ、一番感情の動揺の激しい扱いにくいときであることは鑑定人池田数好の鑑定の結果や証人西園昌久、同大賀一夫の各証言によくあらわれている。このような時期に前認定のような些細なことで、それも他教師の説諭により既に済んだことをきつかけに、大学受験に大きな影響を与える内申書の作成などにあたる担任教師から四時間余にもわたり、前記のような異常な懲戒を与えられた場合、光太郎ならずとも非常な精神的打撃を受け、遺書にもあるように大学進学の夢も崩れ、前途に絶望し死に到ることは往々にしてあることである。決して稀有なこととはいえない。人生経験豊かな大人の目からみれば他にいくらでも解決の方法があると思えることで、如何に少年達が自殺したり家出したり、その他突飛な行動をとつているか毎日の新聞(その一部は証拠として提出している)を見れば明らかである。被告徳野ですら原審で「親から叱られたり、教師から叱られたということで子供が家出したり自殺したりすることは知つている。」と述べている。

更に原審で提出した甲第一〇三号証の一乃至五、甲第一〇四号証の一乃至四および証人西園昌久の証言によれば、日本の自殺率は世界第一位で、しかも青年の自殺率が非常に高く青年の死亡原因の第二位にランクされている。自殺の既遂率は未遂率に比べ非常に低いので既遂・未遂を含めた自殺企図者が多いことははかりしれないことが認められる。原判決はこれらの証拠について何らの判断も示していないが、以上述べたことを綜合して考えた場合、本件のように異常な懲戒が担任教師によつて高校三年生の生徒に与えられた場合、死を決意する程の多大の精神的衝撃を受け死に至ることは通常人に殆ど見られぬ程の稀有のものとしえ通常生ずべき損害にはあたらぬといいきることは到底できないと解する。

(三) 仮りに万歩を譲つて通常損害でないとしても、本件においては被告徳野に損害発生の予見可能性があつたものである。

原判決の引用する第一審判決によれば本件の場合、被告徳野に結果発生の予見可能性があつたことを認める証拠がないとし、原判決においては、本件のような異常な懲戒を受けた思春期の少年にあつては自殺を含めた自己破壊的行動をとる可能性が高く、教職にある者は懲戒の相手が右のような一般的な意味での自己破壊的行動に出る可能性があることは予測できたが、自殺というのは極めて稀な事例であるから結局かかる事態まで予測することは困難であつたと判示している。

ところで不法行為における予見可能性は、その職業・地位にある通常人にとつて結果の発生の予測が可能であつたかどうかを判断するものであつて、当該事件において現実に予見しえたかどうかを問題にするものでないことは判例・学説の一致するところである。

原判決が右のような一般的抽象的意味での予見可能性を否定しているのであれば、それは証拠の評価・採用を誤り、事実を誤認し、ひいては法律判断を誤つたものである。

すなわち、原判決があげている証人西園昌久、同大賀一夫の証言によると、本件のような異常な懲戒が与えられた場合、自殺を含めた異常な行動をとるであろうことは予見可能である旨述べておられるし、又鑑定人池田数好の鑑定によれば「本件のように極めて例外的な体罰が加えられた場合其れが生徒の側にひき起す心理的な反応も極めて強烈で例外的なものも有り得ると云うことは当然予測されなくてはならない……」「教育心理学的には当然その可能性が予想され、配慮されなくてはならなかつた事実」としており一般的抽象的意味での予見可能性を肯定しておられる。

ただ同鑑定のなかで「訓戒の現場における光太郎の態度から直ちにこの結果を予測することは教師にとつて困難であつたと推定される。」と述べられ、このことは多分に原判決に影響を与えているものと考えられる。しかしながら右は同鑑定人が鑑定を命ぜられた昭和四二年四月二八日(第一審の第二〇回口頭弁論期日)当時における記録(その中に含まれる証拠は甲第一乃至第八三号証の二までとおもに光太郎の学友などの証言のみで被告本人の尋問はなく、まして後記のような予見可能性に関係ある原審における被告徳野の供述などはない)に基き作成され、同年七月三〇日に提出されたもので、その意とするところはそれまでにあらわれた証拠からみた場合、光太郎の態度から「現実に」結果の発生を予見することが困難であつたということであり、法が要求している一般的・抽象的意味での予見可能性を否定しているものではない。

更に原判決の引用する第一審判決によれば、自殺は「自殺者の自ら選択した行為によるものであり、他人の行為によつて受けた精神的肉体的苦痛ないし衝撃が極めて重大で、何人も生きる希望を喪失し、自殺を選ぶ外に道がなく、それが何人にとつても首肯するに足る状態にあつたと見られる場合は格別であるが、本件の場合、客観的にはいまだかかる切迫した限界状況にははるかに及ばない場合であつたものと見るのが相当であり……」と判示しておられる。

しかし、本件の場合、光太郎は自由意思によつて死を選んだのではなく、被告徳野の懲戒により死を選ぶほかない程追いつめられた心境になり自殺したものであることは証人西園昌久の証言により明らかである。第一審判決のような判断は、本件懲戒が思春期心理が支配する高校三年生の光太郎に与えられたものであることを看過したものといえる。前記のように人生経験豊かな大人の目からみれば、他にいくらでも解決の方法があるようなことで如何に少年が自殺したり家出したりその他突飛な行動に走つているかは毎日の新聞を見てもわかることである。

次に原判決は「自殺というのは極めて稀な事例であつてかかる事態まで予測することは困難であつた。」と判示しておられる。なるほどもろもろの自己破壊的行為のなかでは自殺は数からいえば少いかもしれない。しかしながら、何らかの原因で青少年が前途に希望を失つた場合、自殺という行為に走ることは絶無のことではなく、幾多の前例があることは周知のことである。前記鑑定によれば、本件の場合「教育心理学的には当然、その可能性が予想され、配慮されなくてはならない」のであり、高校教師という教育心理・青年心理など一連の教職教養課程の履修を終えた上免許を受けた専門職の立場にあるものとして、家出・登校拒否などの行為と比較した場合、数の上では少くても、自殺ということもありうるという予見は当然可能であつたといわざるをえない。

なお、原判決では何らの判断も示しておられないが原審で被告徳野は「親から叱られたり教師から叱られたということで子供が家出したり自殺したりすることは知つている」と述べている。このことは被告徳野に一般的抽象的意味での予見可能性があつたことを裏付ける有力な資料である。

以上の点に加え、更に原判決の引用する第一審判決によれば、被告徳野は光太郎の死亡前一年半位からその担任教師をつとめていたものであるから、光太郎の性格および従前の両者の関係からして光太郎が被告徳野に反感を抱いていたことも充分承知していたと考えられる。それにも増して、光太郎を四時間余も一室に拘束し、相対して異常な懲戒を加えておれば、その懲戒により光太郎がどのような反応を示していたかは逐一認識した筈である。そのことは被告徳野が原審において「光太郎は反省することは一つもないと答えて応接室を飛出した。」「本人を興奮した状態で放置することは好ましくないと考え連れ戻した。」「学校を退校すると云つて立ち去ろうとしたので引き止めた。」「放置すると好ましくないということは、どこへ行つたやら心配だし、学校にこなくなることがある。」と述べていることからも明らかである(昭和四九年一〇月一五日施行の本人尋問調書)。原判決の引用する第一審判決によれば、そのようなやりとりがあつたのは、光太郎を応接室に連れ込んで間もなくと、その後一二時頃長田教師からも説得してもらつた際光太郎が「わかりました。辞めればいいのでしよう。」と云つて室を出ようとしたので引きとめたある二回のようである。そうすると光太郎は被告徳野が同人を釈放した午後三時より数時間前において、既に被告徳野をして家出や登校拒否を心配させる程非常に興奮し、多大の精神的衝撃を受けていたことがわかる。同人のそのような状態を被告徳野は認識していたにも拘わらずこれを和らげる措置をとらず、更に拘束を続け、反省を迫り、益々同人の受ける精神的衝撃を強烈なものとしている。そのことは何よりも本件の結果を見れば明らかであるとともに、証人西園昌久の証言によつても認められる。

このような懲戒の経過・態様・相手の反応を見る時、懲戒を加えた本人である教職にある被告徳野に予見可能性がなかつたということは到底いえないと考える。このことは被告徳野が、光太郎が自殺した当日父親である西秀孝に「昨日お宅にお伺いしてればこんなことにならなかつたでせう。」と云つた(第一審ならびに原審における西秀孝の供述)ことからもうかがえることである。

以上により、被告徳野には結果発生の予見可能性があつたというべきであるから、結局原判決は法律上の判断を誤つたものである。

第二、被告徳野、同原野の個人責任について。

一、原判決が引用する第一審判決は「およそ公権力の行使に当る公務員がその職務を行うにつき故意・過失ある行為によつて他人に損害を与えた場合、その賠償の責に任ずべき者は国家賠償法第一条の法意に照らし、専ら国又は公共団体に限られ行為者としての当該公務員個人は他人に対し直接に賠償責任を負担しないものと解するのが相当である。けだし、かかる場合被害者たる他人は十分な賠償能力のある国又は公共団体を相手方として賠償を求めることによつて完全に経済的満足を得ることができるから、被害者の損害の填補ないし回復を本質とする民事責任の建前からすれば、被害者の救済に欠くるところのないのはいうまでもなく、このうち更に当該公務員の個人責任を追及できるとすることは、単に被害者が公務員個人の行為の道義性を問題とし、被害者の私的感情の満足ないし報復感情の充足を図る以外に何らの実益も期待できないからである。」として、被告徳野、同原野に対する請求を棄却している。

この点に関する先例としては、最高裁判所昭和三〇年四月一九日付判決があり、右判決によると公務員個人は責任を負わないと判示している。しかしながらこの場合は公務員の違法な職務執行がなかつたわけであるから、本件については、その先例にならないものと解する。

本件のように懲戒について、故意あるいは少なくとも重大な過失がある場合には、公務員個人の個人責任があると考えるべきである。民事裁判の機能は第一次的には被害者の経済的満足にあると解するが、被害者の心理的満足を全く無視するのは当事者の納得する裁判にはならないものと考える。

従つてこの点に関する原判決は法律上の判断を誤つたものである。

<以下省略>

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